ニューデリー都市計画での南北の基軸・JANPATHに面する宿泊しているホテル(The Imperial)、
式・レセプションが済んだ翌日の午後、4層吹抜けで天窓のある喫茶で、ゆったりとHi Teaでくつろぐ。
これは現代造形建造物?
ムガル朝時代の1724年建造、
暦や星図を改修するための天文観測所
日時計、星座儀、子午線儀、天体経緯儀などあり
ここデリーの外 ウジャイン、マトラ、バナーラス、ジャイプルにも建造されている。
14世紀建造
幅15m、奥行き60m、
ムガル朝第5代皇帝シャー・ジャハーン時代
1656年建造のイスラム教礼拝所
約100m角の中庭の西側正面(メッカの方向)に白大理石と赤砂岩の礼拝堂
中庭を取り囲む回廊から、
東門、北門、南門そして礼拝堂へは入れず、
40℃の気温で焼かれた中庭の赤砂岩床石に敷かれた通行用カーペットの上を
靴を脱いだ足で駆け足で歩く。
1911年英領インドの首都をデリーに移すことで建設開始され主要施設が1931年に完成したニューデリー都市計画の東西基線「王の道」建造物
<インド門(戦没者慰霊碑)>
インドが戦後のイギリスからの独立を条件に参戦したが独立は実現できなかった第一次世界大戦で戦死したインド兵士1万3,500名の慰霊碑
<政庁舎>
「王の道」西端・大統領官邸の手前に対照的に向かいあう2棟の政庁舎
ムガル朝第2代フマユーン皇帝の廟で、
その妃が皇帝没から9年後の1565年に建造
約360m角の4分庭園の中央に配置された
90m角の基壇の上に建つ廟
基壇周囲および基壇屋上の廟をグルグルまわるも、廟内部への入口を見つけられず、
廟内部の見学をギブアップ。
しかし廟内部に入れても皇帝の棺は基壇屋上では無く基壇にあり、見学は出来ないようだ。
<クトウブ・ミナール>
インド最初のイスラム奴隷王朝がヒンヅー教に勝利した記念碑でモスクでの尖塔(ミナレット)
12世紀末(1193)~14世紀建造
直径(基部14,3m/頂部2.7m)、高さ72,5m
<クワットル・イスラーム・マスジッド>
取り巻く建物群は破壊したヒンズー寺院の石材を転用し1188年建造の最初のモスク、
後の拡大部、アラーイ門、未完のミナレットなど
ニューデリー都市計画での南北の基軸・JANPATHに面する宿泊しているホテル(The Imperial)、
式・レセプションが済んだ翌日の午後、4層吹抜けで天窓のある喫茶で、ゆったりとHi Teaでくつろぐ。